昭和時代を代表する大スター!美空ひばり

「お嬢」とお酒

とにかくものすごい量のアルコールを一晩で飲んでいた「お嬢」は、すごい飲みっぷりです。親しい友人には三人娘の江利チエミや雪村いづみがいますが、他にも中村メイコともよく飲んだとか。中村メイコが回想していますが、中村メイコも子役からスターになっていることから、似た様な境遇でスターの地位留まっているだけにお互い気兼ねすることなく飲めたのでしょう。・

中村メイコと美空ひばりがよく飲みに出かけたのはゲイバーだそうですが、ふたりで猛烈に飲んだとか。ひとりでブランデーを1本半を1夜で空けてしまうこともあったとかで、ブランデーの他にも焼酎と、とにかく飲んで飲んで飲みまくったようです。お酒が美空ひばりの寿命を短くしたといっても良いほどです。

昭和の名曲

酒の量が増えた理由

1970年代に入ると美空ひばりにとっては苦難の時代に突入したといえるでしょう。不肖の弟かとう哲也がたびたび起こす不祥事は、マスコミに取り上げられます。美空ひばりファミリーと、山口組組長田岡との関係も問題としてマスコミに取り上げられました。

弟を立ち直らせたいという姉の思いと一卵性親子の母親、喜美枝の意向があったからでしょう。家族の絆は大事だとした記者会見から、ひばりの公演に一緒に出演予定のかとう哲也を舞台から外すことはしませんでした。結局それが大きなバッシングとなり、10年連続でNHK紅白歌合戦で紅組トリを務めていたにも係わらず、紅白への出場辞退ということになりました。

お嬢の名曲

肉親の別れと友人との別れ

1970年代以降は、以前のような大ヒットはありませんでしたが色々なジャンルの歌を歌い手として歌うことで、歌手美空ひばりの評価が再認識されました。この時にはポップスも歌ったり、ジャズやオペラとなんでも歌いこなす、美空ひばりの歌い手としての力量に再び大きなスポットが当たったといえるでしょう。

このままどんどん色々な歌を歌い続けていってもらいたいと思っていましたが、1980年代になると美空ひばりの周辺に「死」がつきまとうようになりました。

加藤家の家族同然のように、加藤家と深い結びつきで美空ひばりの父親の代わりのようになっていた山口組組長の田岡一雄が昭和56年(1981年)7月23日に心不全で68歳で死去します。そして美空ひばりの実の母でマスコミからは一卵性親子とまで言われた、実の母喜美枝が転移性の脳腫瘍のために7月29日に亡くなります。

いろいろな意味で後ろ盾となってくれていたふたりを、美空ひばりは一気に失うことになったのです。そしてそれから約半年後の昭和57年(1982年)2月13日には、三人娘から美空ひばりにとってよきライバルであり、大親友でもあり一緒にたくさんお酒を飲んだ江利チエミが45歳という若さで急死しました。このときにはさすがに、ひばりもショックを隠しきれず友人のいづみや中村メイコたちと号泣していました。

母を失っただけではなく、不肖の弟かとう哲也が昭和58年(1984年)にまだ42歳という若さで心不全のためになくなります。かとう哲也の実子の和也が、ひばりの養子として昭和52年(1977年)に入っていますが、まさか弟が42歳という若さで亡くなるなど姉のひばりは思ってもみなかったでしょう。

昭和59年(1984年)に「銭形平次」で18年間の間、銭形平次という主役を演じていた大川橋蔵が55歳で亡くなります。「銭形平次」の最終回には、美空ひばりが特別出演したりと親交があっただけにかなりショックだったこととでしょう。

母親や友人を失い悲嘆にくれている美空ひばりは、悲しみを紛らわすためにどんどん酒の量とタバコの量は増えていきます。酒を飲んでは泣き「美空ひばりには神様はついているけど、加藤和枝としては神様はいない。」と泣きながら飲むという生活です。

とにかくあびるように飲むので、明け方の4時ぐらいまで飲んでいても翌日二日酔いで仕事にならないことはなく、仕事への影響は一切なくキーを下げて歌うことなど全くなく、明け方まで飲んでいたとは思えない力量で、仕事に支障をきたすことは一切ありませんでした。美空ひばりは母親が亡くなって、今まではなにかにつけて母親が娘をコントロールしていきましたが、増えたお酒にしても「もう飲んじゃだめ」とストップをかける人がいなくなったのでしょう。「お酒をちょうだい」といえば、誰もストップをかけることなくひばりにお酒を持って来ます。「お嬢」をストップしてくれる人は、もはや誰もいませでした。

美空ひばりは深い孤独の中で、浴びるように酒を飲んで淋しさを忘れるように、飲んでいましたそのお酒が確実にひばりの身体を蝕んでいきます。昭和61年(1986年)にはまたしても実弟で、金銭的に美空ひばりがひとりだちできるようにと援助していた弟の香山武彦も、42歳という若さで心不全で亡くなるという次から次へと不幸に見舞われてしまします。1980年代に入って母親や父親代わり、そして実の弟をふたりも失うだけではなく、自分と同年代の大親友まで失い、ますます淋しさや悲しみを酒で紛らわすという日々を送るようになります。かなりの大量のお酒を飲んでいたため、脚は壊死に向かい肝臓もアルコールに蝕んでいき原因不明の痛みは激痛となり、そのまま入院することになります。そして闘病の日々を送ることになりました。

やがて昭和天皇が崩御され昭和の時代が終わり、時代が平成が幕開けと時を同じくするように平成元年(1989年)6月24日の午前0時28分に、順天堂大学付属病院にて52歳という若さで美空ひばりは亡くなりました。

昭和時代を代表する大スター!美空ひばり